LOGIN北海道でのコンサートは東京にも負けず劣らず盛り上がり、二日間の予定はあっという間に過ぎ去ってしまった。
北の大地でも熱狂的なファンがこんなにもいるんだということに、日本中に見てくれている人がいるんだという実感が湧いてくる。
チャンネル登録者数は現在3000万人に迫る勢いで増えていて、中には外国の方だっている。
日本だけでなく世界にも歌声を届けられていることがとても嬉しい。ネットで活動していることの利点が最大に出ているなぁ。「ゆきさんの知名度は今ではもうワールドクラスですからね。いずれ世界中からお呼びがかかるようになるんじゃないでしょうか。まずはアメリカに凱旋ライブなんてどうですか?」
五代さんが気の早い提案をしてくる。
「まだ日本縦断ツアーの最中なのにもう先の話ですか?」
「当然。まだまだこれからですよ。お姉さん方もおっしゃってましたけど、わたしもゆきさんはいずれ世界に飛び出していくと思っていますから」
世界か。
確かに憧れはある。一度アメリカでは失敗してるけど、あの頃よりも語学力はあがっているし、表現力や技術力も全然違うつもりだ。 もちろんリベンジをしたいという気持ちはあるから、いずれ再挑戦しようとは思っていた。「まずはアメリカのランキングで一位を取るところからでしょうね」
いきなり大きく出たな。
いろんな国のアーティストが集まるアメリカでトップを取るというのは並大抵のことではない。
しかもそれが「まずは」って。五代さんの目はどこを見てるんだろうか。「アメリカの次はヨーロッパ。そしてアフリカ中東インドにアジア。ロシアと南米まで行けば全大陸制覇ですよ!」
うわぁ。
ヨーロッパ、アジア、ロシアまでは分かるけど、中東やアフリカまで入ってくると言語を覚えるのが大変だ。「南極も大陸ですよ」
「ペンギン相手にコンサートするんですか?」
「冗談です。それにしても全大陸制覇って。トレジャーハンターみたいですね」
「そうなんです! 人々の熱狂的な視線と声援というお宝を世界各国で集めて回るゆきさんは、ミュージシャンのインディージョーンズ!」
なんか興奮してるけど。
上手いこと言ってるつもりなんだろうか。でも世界を飛び回ることになったらいよいよみんなが寂しがるよなぁ……。
「お姉さんたちが心配ですか?」
あれ、顔に出てたかな。
「日本縦断だけでもあんなにも心配そうな顔で見送っていたんですから。世界に出るとなればもっと期間は延びますし、それこそ一緒に連れて行かないと納得してくれないかもしれませんね」
そういえば見られてたんだった。
みんなを一緒に連れていくかぁ。
それぞれ仕事もしてるし、ひよりも就職先が決まったばかり。現実的には難しい問題だよなぁ。「お姉さん達全員雇いますか!」
「えぇ!?」
また突拍子もないこと言い出したよ、この人は。
「そんなこと五代さんの会社が許すはずもないでしょう」
芸能プロダクションが家族丸ごと雇用するなんて聞いたこともないぞ。まずもって上層部からゴーサインが出るとは思えない。
「違います違います。ゆきさんの本業は配信者でしょう? そっちを法人化して、ゆきさん自身が雇ってあげるんですよ」
え、本気で言ってます?
それってつまりみんなの人生を背負うってことであって……。「ゆきさんの収入ならば十分可能だと思いますし、法人化するのは税金対策にもなるんですよ。お姉さん方の給料も経費になりますし。お金は使ってなんぼ。将来を見据えて貯蓄するのもいいですけど、そうやって有効活用すればみんなハッピーじゃないですか」
確かに収入の半分を税金で持っていかれていることを考えたら、みんなに給料として渡している方がいいだろうなとは思う。
「でもみんな自分の職業に誇りを持って働いてますし、わたしの都合で退職させるというのも……」
「何言ってるんですか。みなさんの職業ってどう考えてもゆきさんの役に立てたらというものばかりじゃないですか」
より姉は服飾デザイン。かの姉は映像編集。あか姉はカメラマン。ひよりは商社でプロモーション。
ほんとだ! わたしの活動ってみんながいれば完結してしまう!「大好きな人と一緒にいれて、三食美味しい食事付き。そんないい職場がありますか? みなさん正妻なんですし、妻を養うという意味でもベストな選択かと」
正妻とか言うのやめてください。
しかも四人。「あ、わたしは愛人枠で大丈夫ですから」
愛人なんて作らねーよ!
まったく、どこまで本気なんだか。「愛人一号は業界へのパイプ役ですね」
一号を名乗りだしたよ。
「できれば二号三号は同じ職業の人がいいですね。歌やダンスのユニットを組めますし」
愛人にする必要性ないだろ!
関係者全員に手を出すとかとんだクズやろーだよ!「まぁ一号以外は冗談ですけど、バックダンサーがいるとパフォーマンスにもっと広がりが出ますよ」
一号は冗談じゃないのかよ。
でも確かに考えたことはある。ひよりと踊った時もそうだし、文香と穂香、三人で踊った時も楽しいと同時に表現力は広がるし迫力が出るんだよね。「だけどバックダンサーなんて簡単に集まるもんじゃないでしょ?」
「ノンノンノン。ゆきさんはご自分の人気をもっと自覚した方がいいですよ。募集したらオーディションを開く必要があるほど集まるに決まってます」
そんなに?
なんだかにわかには信じ難いな。「バックダンサーの話はおいおいにしても、お姉さん方の終身雇用については相談してみてはいかがですか? これぞホントの永久就職ですね」
なんだかギャグがオヤジっぽい。
五代さんももうすぐアラサーだもんなぁ。「何考えてるんですか?」
「いえ何も」それにしても、みんなと一緒に配信活動かぁ。考えるだけでも楽しそうだけど、そんなこと本当にできるんだろうか。
北海道公演の終了後、数日だけゆっくりして次の名古屋へと移動。陸路だと新幹線を使っても十時間以上、車なら二十時間もかかるので、当然のことながら飛行機を使用。
五代さんにずっと手をつないでもらっていたものの……。「……」
「大丈夫ですか? 真っ青ですよ?」
全然だいじょばない。
正直言ってお化けと同じくらい怖いかもしれない。
……いや、やっぱりお化けの方が怖いかな。同じ恐怖心だけど、飛行機は下りてしまえば割と短時間で復活できるもん。お化けは後を引くからタチが悪い。
「それじゃホテルに移動しますよ」
平然とした五代さんに手を引かれて移動を促される。引率の先生に先導してもらう園児みたいだけど、まだ膝が笑ってるので仕方ない。
名古屋での公演はドームを抑えることが出来なかった都合上、1万人規模のアリーナ。公演日数は三日間だ。
次の大阪も最後の博多もすでにチケットは完売しているので、今回のツアーは大成功と言っていいだろう。 タクシーで移動中、五代さんが突然わたしに頭を下げた。「今回ツアーが大成功したことで社内でのわたしの株もさらに上がりましたよ。ゆきさんには感謝をしてもしきれません」
それを言うならわたしの方だ。
リスナーさんの前で唄うという夢は五代さんの協力がなければ実現しなかった。しかも芸能界には戻らないという条件付きで。
インタビューくらいには応えてもいいけど、日本のテレビはそれがたとえ音楽番組だとしてもできれば遠慮したい。もう十分大人になったから自分を守る手段も備えているんだけど、幼少の頃に感じた印象というのはそう簡単に拭えるものではないから。
「わたしの方こそお礼を言わないといけませんよ。夢の実現に手を貸していただき、ありがとうございます」
後部座席の狭い空間でお互いに頭を下げ合う。
頭を上げると目が合ったので、微笑みあった。
本当はわたしにテレビにも出て欲しいという願望があることも分かってるんだけどね。ワガママばかりいってごめんなさい。 どうにかこの悪印象を克服する術はないものかなぁ。ひよりとの子供が産まれ、半年ほどは仕事量をセーブした。 四人もママがいるのだから必要ないとは言われたものの、わたしも育児に参加したかったから。 今までの五人にもう一人増えてずいぶん賑やかになったけど、以前と変わらず温かい家庭は続いている。 お父さんとお母さんはもうすでに孫馬鹿ぶりを発揮していて、休みの日に孫と一緒に散歩するのが趣味になってしまったようだ。あれだけ忙しく休日出勤もしていたのに、最近ではしっかり休日を取るようになったほどだ。その分普段の帰りは前より遅くなったけど。 今日も二人して休みを取って、ずっと孫にべったりだ。「ゆきさん、お仕事をセーブしてるところ悪いんですが、ちょっと大きなオファーが入ってしまったのでなんとか受けてもらえませんか」 ひよりが退院してから連日のようにうちを訪れていた五代さんがとても申し訳なさそうな顔をしながらお仕事の話をしてきた。 ほとんど毎日来てたのに、しっかり仕事はしてたんだな。いつの間に。 出来る女は努力してる姿を見せないものなのか。白鳥のように。いつかその足元を覗いてやりたいけれど。「そろそろ育児も落ち着いてきたし、お仕事を頑張ろうと思っていたタイミングだったので大丈夫ですよ。それで、どんなお仕事ですか?」 もう既に保育園の申し込みも済ませ、後は抽選結果を待つだけだ。 わたし達の住む市はそこまで待機児童が多いわけでもないので、さほど待つことなく入園させることが出来ると思う。 そしてもうひとつ、お母さんが仕事で第一線を退き、意見役というか相談役のようなポジションに代わり、パートタイマーのような時間制で働くことを決意したそうだ。 わたし達も全員手を離れ、今までのようにあくせくお金を稼ぐ必要もなくなったことと、一番は孫と一緒にいる時間を増やしたという理由かららしい。まったく。 うちの子はパパっ子ママっ子になってほしいんだからおばあちゃん子にはさせないでよね。 そんなわけで本格的に仕事の方をスタートさせようとしていたタイミングだったので、オファー自体はありがたかったんだけど、さすがにその依頼元には驚いた。 なんとア
不織布で作られた使い捨てガウンを身につけ、わたしは緊張で身を固くする。 ハッキリ言ってプロポーズの時よりも。 特に自分が何かをするわけじゃないんだけど、何もできないからこそ余計に緊張することもあるんだな。「もう、悠樹さんが緊張してどうするの。パパになるんだからどっしり構えてて」 分娩台に横たわり、痛みに顔を歪めながらも笑顔を向けるひよりの健気さに、男という生き物の無力さを痛感してしまう。 額ににじむ汗を拭いてあげながら、せめて目を背けず最後まで見届けようと決意。「そんな顔しないで。そばにいてくれるだけでこんなにも力強い気持ちになれるんだから。ありがとう」 一番大変なのは自分なのに、こちらのことまで気遣う優しさに胸が熱くなる。「わたしの事はいいから、今は自分の事と赤ちゃんの事だけ考えて。わたしにできることがあるなら何でも言ってね」 男には一生分かってあげることのできない痛みだけど、例え話では鼻からスイカを出すくらいの痛みと聞いたことがある。 例えた方が分からなくなるってどういうことだ。 ありえないくらい痛いってことを表現したいんだろうけど、本当にありえないことを例えに出されても余計に混乱する。 でもとにかく痛いんだということだけは理解できるので、背中を優しくさすってあげた。「ありがとう。触れられているととても安心する。でも陣痛が来た時は痛みが響くから離してくれる?」「うん、わかった。他にしてほしいことはある?」「汗が流れると気持ち悪いから拭いてほしいかな」 今まで経験したことがないほどの痛みだろうに、それでもわたしには笑顔を向けてくる。泣き笑いのようなその表情に、わたしの胸はさらに締め付けられる。「もうすぐ産まれるのかな。だんだん陣痛の間隔が……短く……なって……!」 またしても痛みの波がやってきたのか、苦痛に顔を歪めるひより。 背中に当てていた手を離し、すぐに額や首筋ににじんでくる汗をなるべく優しく、丁寧にふき取ってあげる。 わたしの目から見て絶えず苦しんでいるん
地方都市に限定した日本全国縦断ツアー。 人口が少ないところを選んで敢行したため、当初は空席が出るんじゃないかという懸念もあったけど、結果的には販売開始と共にソールドアウトの大盛況となった。 その都市の住人だけでなく、近隣や中には遠方からでも来る人がいたので、わたし達の密かな目的でもあった町おこしという点でも大成功だったと言っていいだろう。 ツアーの合間に観光として地元のいろんなお店に入ったり観光名所を訪れて写真をSNSにアップしたので、訪れた場所が聖地扱いとなって観光客が増えたという報告もあった。日本にはまだみんなが知らないだけで、素晴らしい場所はたくさんあるんだよ。 山形なんてほとんどの人が首を傾げるけど、|宝珠山立石寺《ほうじゅさんりっしゃくじ》は松尾芭蕉が「閑さや岩にしみ入る蝉の声」と詠んだ由緒あるお寺だし、戦国武将の上杉謙信を祀った寺社もある。出羽三山には羽黒山五重塔という国宝が鎮座していて、2026年は「|羽黒山午年御縁年《はぐろさんうまどしごえんねん》」といって十二年分のご利益があるとされてるんだよ。 そうやって訪れる都市のいろんな魅力を探していくのは楽しかったし、その土地の人々と交流するのも有意義だった。県民性というのは本当にあるもので、行く先々でいろんな発見があったから。 全員がそうだってわけじゃないけど、新潟の人は厳しい冬に耐える歴史を送ってきたからか、忍耐強く、真面目で堅実というイメージ。豪雪地帯であるにもかかわらず、日本有数の米どころとしてコツコツと積み重ねてきたからか、努力を惜しまない堅実さがあったように思う。 その反対側の静岡はのんびりしていて温和という印象。昔から東海道の要所として栄えてきたからか、あくせくした雰囲気がなく、のんびりしていて開放的なのは旅人相手に商売をしてきた影響だろうか。 そういった地方の違いというのはコンサートでの反応にも表れていて、比較的大人しいこともあれば真面目そうな人々が熱狂的に盛り上がって一緒に楽しめることもある。その違いがまた楽しい。 海外に旅行すれば人生観が変わるというけど、日本全国を旅するだけでも十分に価値観を変えられるんじゃないだろうか。 「今日は盛り上がったなー」 愛媛での最終日を終えて、観光前のホテルでのひと時。そこでみんなと今回の感想を述べあっていたんだけど、コンサート
結局、ツアーは山形、金沢、静岡、京都、鳥取、愛媛、宮崎で行うことになった。 前回は全国五都市での開催だったのが、今回は七都市。 日程が前回より長くなったのは当然だけど、やはり地方都市だけあって大人数を集められるだけの箱がなくてほとんどが野外コンサートになってしまった。 どこまでも広がる空の下、声を大にして唄うなんて初めての事なのでとても楽しみ。 お願いだから前回みたいに停電トラブルは勘弁してほしいけど。さすがに音響も何もない露天で隅々まで声を響かせるなんて不可能だし。「ツアーが終わるころには暑くなりそうだな」 キャリーバッグを片手に二階から下りてきたより姉が椅子に腰かけながら言う。「ひよりのお腹も大きくなってくるのかな?」「それくらいではまだ目立つほど大きくなりませんよ。予定日は来年の春ですから、人によりますけど妊婦だと服の上からでも分かるようになるのは年が開けてからじゃないですか」 わたしの質問にかの姉が答えてくれた。 いくらこんな見た目をしていても、女の人の体にまで詳しくないわたしには新しい事ばかり。 お父さん教室とかにも参加した方がいいのかな。「ゆきはなんでもできるから心配ない」「いくらわたしでも知らないことは勉強しないとできないよ。これから時間を見つけては調べていかないと」 あか姉の信頼は嬉しいけど、わたしだって最初から何でもできるわけじゃない。人間離れしてる面があるのは認めるけど、それでも基本は人間なんだから。 そんな話をしていると、ひよりの部屋から物音が聞こえてきたので二階に上がった。「ひより、準備できたー?」「あれ、ゆきちゃん? どうしたの?」 不思議そうな顔でわたしを見てくる。やれやれだ。 自分の身体がどういう状況なのか自覚を持ってほしい。「荷物重いでしょ? 重いものを持たせるわけにはいかないからね」 妊婦に重いものを持たせてはいけないと書いてあった。ましてやまだ安定期にも入っていない妊娠初期。流産する危険性が比較的高い時期らしい。「いくらなんでも過保護すぎだよ。これくらいの重さならどうってことないよ」「そんなこと言って何かあったらどうするの! 用心するにこしたことはないんだから」 なんで妊娠してる本人がこんなに呑気なんだろう。「少しは動かないとダメなんだよ。無理は禁物だけど、軽い運動程
わたし達の関係は変わった面もあれば変わらない面もある。 妻であり、夫であると共に、兄であり弟でもある。 家族でありながら恋人であり、夫婦であり、やがて父と母にもなるだろう。 だけど根底に流れるものは変わらない。ずっと一緒に育ってきた、かけがえのない愛する人。 お父さんとお母さんはちょっと別枠ね。 あの二人は放っておいても勝手に仲良いし。 わたし達はというと、仲がいいのを隠さないでよくなった分、以前よりも公然とイチャつくようになったというか。 もはや公認のバカップルだ。 その仲の良さでは当然というか、あの結婚式から約一年、まずはひよりが身籠った。 産婦人科の先生が言うには、妊娠三か月、八週目だとのこと。「おめでとう!」 「おめでとうございます!」 「めでたい」 はにかむひよりに、みんなでお祝いの言葉をかける。 お父さんとお母さんもこれでお祖父ちゃんお祖母ちゃんになるのか。「こうやって命が紡がれていくんですね」 かの姉はひよりのお腹を見つめ、感慨深げにつぶやいている。 より姉はお腹に手を当て、まだようやく心臓が動き出したばかりであろう胎児に向かってしきりに話しかけている。「依子お姉さんですよ~。ママより可愛がってやるからな~」 お姉さん……。 あまり深く突っ込むと痛い目に遭うから何も言わないけど、そういうことを言うのが逆に既に年齢を感じさせるんだよ?「より姉も急がないとね。年齢的に危うくなる前に産まないと高齢出産は大変らしいよ」 「誰が高齢だコノヤロ」 いつものごとくより姉をからかうひよりだけど、その顔はどこまでも幸せそうだ。「より姉が手遅れになる前に、ゆきちゃんには頑張ってもらわないとね」 そういう生々しい話はヤメロ。「こういうのは天からの授かりものだからね。頑張る頑張らないはあんまり関係ないの」 夜の生活の話になるといろいろ面倒なことになるからこれ以上は控えようね。「まぁただでさえみんなと仲良いしな。全員妊娠するのも時間の問題か」 だからやめなさいって。 わたし達の存在を丸ごと消される事態になっても知らないよ。「ゆきちゃんは随分と冷静だね。わたし達の赤ちゃんが出来て嬉しくないの?」 そんなのもちろん嬉しいに決まってる。ありきたりな表現だけど、愛の結晶が授かって嬉しくないはずがない。
十月某日。 残暑の厳しさもようやく収まり、風に冷たいものが混じるようになった頃。 わたし達はひとつの節目を迎えた。「ホントにわたしコレ着るの?」 覚悟は決めていたものの、いざ実物を目の前にするとその煌びやかさに気が引けてしまう。 男だよ、わたし。 それがこんな豪華な……。「ウェディングドレスなんて着ていいんですか!?」 もうすでにビスチェ、ウエストニッパーにガードルを着けてボディメイクまで済ませてあるので、後はこれを着るだけの段階に来てるんだけどね。「お客様ならきっと誰よりも綺麗な花嫁になりますよ」 お手伝いのお姉さんはそう言ってくれるけど……。 わたしは花婿だよ! ドレスを着ようとしてる時点で、そんな主張をしても虚しいしびっくりするだろうから黙ってるけどさ。いつまでも半下着姿で固まっているのも恥ずかしくなってきたから、ここは腹を括って一気に着てしまうことにしよう。「お、お願いします……」「どうしてそんなに思いつめた顔をしてるんですか。清水の舞台からでも飛び降りるようですよ」 実際そんな心境だし。真剣そのものの表情にお姉さんも苦笑い。 下準備は済んでいるので、あとは比較的簡単な作業であっという間にドレスをきせられてしまった。 胸元しか隠さず、肩が露わになっているのはより姉の趣味。 ドレスの縁やアームカバーにまでフリルが付いているのはかの姉の好みそうなものだ。 ウェディングドレスだから全体的に豪華なんだけど、それでもどこかすっきりと上品にまとまっているのはひよりとあか姉がしっかり選んでくれた結果だろうな。 ヴェールは顔全体を隠すものでなく、後頭部だけを覆っている。前が見えにくくなるのは嫌いだから、これだけはわたしの注文でこの形にしてもらった。「ここまで来たらもう逃げ道はない」 自分を鼓舞するようにそうつぶやくと、メイクを施してもらうためにそのまま化粧台の前に座る。